1.極東軍事裁判の概要
大東亜戦争休戦後、連合国によって行なわれた、日本の戦前・戦中の(戦争)指導者28人を「重大戦争犯罪人」(A級戦犯 =政府・軍部首脳が対象⇒B・C戦犯)として審理した国際軍事裁判(国際軍事裁判は、東京とニュルンベルクで行われた)をいう(通称は東京裁判)
2.内容
ポツダム宣言第10項の戦犯処罰規程を根拠に、極東軍事裁判所条例(チャーター)により、11カ国の連合国名によって「平和に対する罪」(A級戦争犯罪)「殺人と通例の戦争犯罪」(B級戦争犯罪)「人道に対する罪」(C級戦争犯罪)の3つに分類された55項目の訴因に基づく起訴状により46年4月29日に起訴された。
法廷は同年5月3日に開廷され、2年6カ月後の48年11月12日(開廷から判決まで924日間)に刑が宣告された。
判事は11カ国から1名ずつ任命され、オーストラリアのウェッブ判事が裁判長に選任された(中立国からは1人も選ばれなかった)。キーナン首席検事以下の国際検事団に対して、弁護団は鵜沢総明(うざわふさあき=後に明治大学総長)が団長、清瀬一郎が副団長となった。
キーナン首席検事は、冒頭陳述で、「東京裁判が世界を破滅から救うための文明の闘争である」と位置付けた。これに対して弁護側は、「平和に対する罪」「人道に対する罪」へと拡大された戦争犯罪の概念が国際法上未確立である上、「日本に侵略する意図はなく、満州事変から太平洋戦争にいたる戦争はすべて自衛のための戦争」と反論、激しく対立した。
起訴された28人中、裁判途中で死亡(松岡洋右〈ようすけ〉・永野修身〈おさみ〉)、病気免訴(大川周明〈しゅうめい〉)となった3人を除いて25人の被告人全員が有罪となり(55の訴因中10の訴因を認め、「満州事変から太平洋戦争にいたる日本の軍事行動を侵略戦争」と断定し、被告の多くに「侵略戦争の共同謀議」を認定)、その内絞首刑7人(東条英機元首相,板垣征四郎陸軍大将、土井原(どいはら)賢二陸軍大将,松井石根(いわね)陸軍大将,木村兵太郎陸軍大将,武藤章陸軍中将,広田弘毅(こうき)元首相=1948年12月23日に絞首刑)・終身禁固16人・禁固20年 1人・禁固7年1人であった。
判決は多数決によったが、少数意見の裁判官の5人いた。そのうちの1人ウエップ裁判長は、「どの日本人被告も、侵略戦争を遂行する謀議をしたこと、この戦争を計画及び準備したこと、開始したこと、または遂行したことについて、死刑を宣告されるべきでない」と判決文にしたため、フランスのベルナール判事は、「天皇が免責された以上共犯たる被告を裁くこができるのか」と述べ、インドのパル判事は、日本の「無罪」を主張し、アメリカの原爆投下を非難した。
GHQにより徹底した言論統制下に置かれていたことから、極東国際軍事裁判(東京裁判)に対する疑問や批判は封じられたばかりか、被告全員を無罪としたインドのパル判事(パール判事と呼ぶ場合もあるようですけど、ここではパル判事とします)による判決書は、刊行が禁止された。
判決後弁護側は、連合国軍最高司令官へ再審査を申し立てるが、却下され、直ちにアメリカ連邦最高裁に訴願するが、これも却下された。
法廷は同年5月3日に開廷され、2年6カ月後の48年11月12日(開廷から判決まで924日間)に刑が宣告された。
判事は11カ国から1名ずつ任命され、オーストラリアのウェッブ判事が裁判長に選任された(中立国からは1人も選ばれなかった)。キーナン首席検事以下の国際検事団に対して、弁護団は鵜沢総明(うざわふさあき=後に明治大学総長)が団長、清瀬一郎が副団長となった。
キーナン首席検事は、冒頭陳述で、「東京裁判が世界を破滅から救うための文明の闘争である」と位置付けた。これに対して弁護側は、「平和に対する罪」「人道に対する罪」へと拡大された戦争犯罪の概念が国際法上未確立である上、「日本に侵略する意図はなく、満州事変から太平洋戦争にいたる戦争はすべて自衛のための戦争」と反論、激しく対立した。
起訴された28人中、裁判途中で死亡(松岡洋右〈ようすけ〉・永野修身〈おさみ〉)、病気免訴(大川周明〈しゅうめい〉)となった3人を除いて25人の被告人全員が有罪となり(55の訴因中10の訴因を認め、「満州事変から太平洋戦争にいたる日本の軍事行動を侵略戦争」と断定し、被告の多くに「侵略戦争の共同謀議」を認定)、その内絞首刑7人(東条英機元首相,板垣征四郎陸軍大将、土井原(どいはら)賢二陸軍大将,松井石根(いわね)陸軍大将,木村兵太郎陸軍大将,武藤章陸軍中将,広田弘毅(こうき)元首相=1948年12月23日に絞首刑)・終身禁固16人・禁固20年 1人・禁固7年1人であった。
判決は多数決によったが、少数意見の裁判官の5人いた。そのうちの1人ウエップ裁判長は、「どの日本人被告も、侵略戦争を遂行する謀議をしたこと、この戦争を計画及び準備したこと、開始したこと、または遂行したことについて、死刑を宣告されるべきでない」と判決文にしたため、フランスのベルナール判事は、「天皇が免責された以上共犯たる被告を裁くこができるのか」と述べ、インドのパル判事は、日本の「無罪」を主張し、アメリカの原爆投下を非難した。
GHQにより徹底した言論統制下に置かれていたことから、極東国際軍事裁判(東京裁判)に対する疑問や批判は封じられたばかりか、被告全員を無罪としたインドのパル判事(パール判事と呼ぶ場合もあるようですけど、ここではパル判事とします)による判決書は、刊行が禁止された。
判決後弁護側は、連合国軍最高司令官へ再審査を申し立てるが、却下され、直ちにアメリカ連邦最高裁に訴願するが、これも却下された。
3.個人的意見
(1)まず、戦勝国が敗戦国を裁くなどということは、あってはならないことだと思います。
まして、判事は全て戦勝国もしくは戦勝国の植民地から選出されているし、さらにはソ連(現在のロシア)がなんでいるのかが解りません。日本とソ連は中立条約を結んでいたのにもかかわらず一方的に条約を破棄した上、火事場泥棒的に攻めて略奪・殺戮の限りを尽くし、さらには強制労働を裁判の時点でも行っていた国ですから、全く持ってあり得ませんわな。
(2)次にニュルンベルク裁判よりも重い処罰が行われたことに驚きです。ニュルンベルク裁判では、起訴された被告の内数人は無罪とされましたが、この裁判においては起訴された全ての方々を有罪としたわけです。
どんだけ悪いことをしたというんでしょうね?┐(´ー`)┌
(3)ネットでも各種書籍でも書かれていることですけど、「A級戦争犯罪」「C級戦争犯罪」については「事後法」です。ポツダム宣言第10項には「吾等は日本人を民族として奴隷化せんとし又は国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものに非ざるも吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加へらるべし」とうたっています。ということは、ポツダム宣言によるものとしたなら問われたとしても「B級戦争犯罪」(「殺人と通例の戦争犯罪」)のみとなりますよね?
A級戦争犯罪者なんていないじゃないですか。C級戦争犯罪・・・アメリカの原爆のことだよね?w
(4)日本が戦争をするに至った経緯は、宣戦の詔で昭和天皇がおっしゃっていることにつきるのではないかと思います。
『今や不幸にして米英兩國と釁端(きんたん)を開くに至る洵(まこと)に已むを得さるものあり豈(あに)朕が志ならむや』(不幸にして米英両国と争わなければならないのは、私の望んでいることではない)
『東亞安定に關する帝國積年の努力は悉(ことごと)く水泡に帰し帝國の存立亦正に危殆(きたい)に瀕(ひん)せり事既に此に至る帝國は今や自存自衛の爲蹶然(けつぜん)起つてー切の障礙(しょうがい)を破碎(はさい)するの外なきなり』(東アジア安定のために日本が行ってきた努力はことごとく水の泡になり、日本の存亡に関わる非常に危険な状態に瀕している。ここに至っては我が国の自存自衛のために決然とたって、一切の障害を取り外すほかにない)
戦争したくて日本をあおったのはアメリカに他ならない!
まして、判事は全て戦勝国もしくは戦勝国の植民地から選出されているし、さらにはソ連(現在のロシア)がなんでいるのかが解りません。日本とソ連は中立条約を結んでいたのにもかかわらず一方的に条約を破棄した上、火事場泥棒的に攻めて略奪・殺戮の限りを尽くし、さらには強制労働を裁判の時点でも行っていた国ですから、全く持ってあり得ませんわな。
(2)次にニュルンベルク裁判よりも重い処罰が行われたことに驚きです。ニュルンベルク裁判では、起訴された被告の内数人は無罪とされましたが、この裁判においては起訴された全ての方々を有罪としたわけです。
どんだけ悪いことをしたというんでしょうね?┐(´ー`)┌
(3)ネットでも各種書籍でも書かれていることですけど、「A級戦争犯罪」「C級戦争犯罪」については「事後法」です。ポツダム宣言第10項には「吾等は日本人を民族として奴隷化せんとし又は国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものに非ざるも吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加へらるべし」とうたっています。ということは、ポツダム宣言によるものとしたなら問われたとしても「B級戦争犯罪」(「殺人と通例の戦争犯罪」)のみとなりますよね?
A級戦争犯罪者なんていないじゃないですか。C級戦争犯罪・・・アメリカの原爆のことだよね?w
(4)日本が戦争をするに至った経緯は、宣戦の詔で昭和天皇がおっしゃっていることにつきるのではないかと思います。
『今や不幸にして米英兩國と釁端(きんたん)を開くに至る洵(まこと)に已むを得さるものあり豈(あに)朕が志ならむや』(不幸にして米英両国と争わなければならないのは、私の望んでいることではない)
『東亞安定に關する帝國積年の努力は悉(ことごと)く水泡に帰し帝國の存立亦正に危殆(きたい)に瀕(ひん)せり事既に此に至る帝國は今や自存自衛の爲蹶然(けつぜん)起つてー切の障礙(しょうがい)を破碎(はさい)するの外なきなり』(東アジア安定のために日本が行ってきた努力はことごとく水の泡になり、日本の存亡に関わる非常に危険な状態に瀕している。ここに至っては我が国の自存自衛のために決然とたって、一切の障害を取り外すほかにない)
戦争したくて日本をあおったのはアメリカに他ならない!
3.おわりに
A級戦争犯罪に問われ、言われ無き罪をかぶせられてもなお、日本の新たな礎となるべく称揚として断頭台の露となった以下の方々に対し黙祷を捧げたいと思います。
板垣征四郎 陸相(近衛内閣・平沼内閣)、満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長
木村兵太郎 ビルマ方面軍司令官、陸軍次官(東條内閣)
東條英機 第40代内閣総理大臣
土肥原賢二 奉天特務機関長、第12方面軍司令官
広田弘毅 第32代内閣総理大臣
松井石根 中支那方面軍司令官(南京攻略時)
武藤章 第14方面軍参謀長(フィリピン)
さらにBC級戦争犯罪者として、国外で処罰された多くの将兵に対しても心から哀悼の意を表したいと思います。
板垣征四郎 陸相(近衛内閣・平沼内閣)、満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長
木村兵太郎 ビルマ方面軍司令官、陸軍次官(東條内閣)
東條英機 第40代内閣総理大臣
土肥原賢二 奉天特務機関長、第12方面軍司令官
広田弘毅 第32代内閣総理大臣
松井石根 中支那方面軍司令官(南京攻略時)
武藤章 第14方面軍参謀長(フィリピン)
さらにBC級戦争犯罪者として、国外で処罰された多くの将兵に対しても心から哀悼の意を表したいと思います。